徳は顔に出てしまう?
「奉行と人相学」という話をずいぶん前に読んだことがあります。
ある奉行が、裁きを行う際に罪人の顔を見て気付いたこと。人相学を修得して「隠徳の相」にピタリと一致する男が下手人として現れ、興味もってしまい話をするうちに窃盗の動機が困っている人を助けるためだったことがわかりました。
要約すると徳は顔に出てしまうというような話だったと記憶しています。
ただ、この話、最後は人相学に頼り過ぎるのは危険というオチです。
見た目に頼り過ぎるのも危険ってことで。
別に、人を顔で判断しているわけではないんですが、やっぱり顔に出るんだなと思うようになってしまいました。
以前働いた場所で出会った人々
けっこう幅広いところで働きました。
あんまり思い出したくないんですが、若い時にちょっとやってた地獄かなと思った派遣の仕事とかも。
早朝、ハコバンに乗せられて現場に行く仕事。借金にまみれた人。
思い返してみれば、いろんな人相に出会ってきました。失礼極まるのですが、肌の感じだとか、歯の本数だとか今、自分の周囲にいる方々とは全然違う人種に見えてしまいました。
見下しているわけではないのですが、ちょっと同化するのが怖くて田舎に戻り仕事を探しました。
家庭環境と人相
今の仕事は子どもの支援と教育に携わる仕事をしています。
児童の家庭環境とかも深く見たりするわけなのですが。
当然、困難な状況の人もいたりします。
問題が多い児童の親の顔なんかどうしても注視してしまいます。
関わる人の幅が増えてしまったせいかどうしても人相が気になってしまいます。
こんなこと、取り立てて口に出す人はいないですが、どうしても気になって書いてみました。
他者の責任を追及する人と自分で問題意識をもって解決に取り組む人と、どうしても明白な人相の違いがあると言わざるを得ないんですね。
支援者として、いろんな家庭と関わることで直感的ですが、人相を見て「なんかやばい」という嗅覚が養われてきてしまいました。
たとえば、保護者を交えて運営をする児童施設で保護者に係りなどの役割をお願いする際に職員間でまずこの保護者さんにはこれができそうとか内々で話をするんですが、
「この人はちょっとやめておこうか」なんていう話のなかで、そういうちょっと危うそうだなという人は職員間でだいたい一致しています。
その判断材料は、関わった時の立ち振る舞いや表情しかなくて本当に直感ですが職員間の意見は不思議と揃ってしまうのです。
実際に、考えたり、気持ちを表出したり顔の筋肉の使い方で人相が変わる
口角、目線、首の傾斜。人と話す時のしぐさは様々な肉体の要素で構成されています。
ちょっと前に、何かで読んだのですが、周囲への大らかさがある人は表情筋が発達して口角が締っていたりするというのを読んで「まあ確かに」と妙に納得してしまいました。
他者利益への関心が高いGIVER、自己利益への関心が高いTAKERなんかの話もよく聞きますが、TAKERの特徴は口角が下がり続けているようですね。
たとえ、何かをしてもらってもそれでも不満足だと言わんばかりに口角が下がり続けてしまうことはいずれ、人を遠ざける要因になってしまうようです。
どちらかというと私もTAKER気質なのか口角の下がりは良く指摘されます。注意してくれる先輩には感謝ですね。
「人は顔に出ている」こんなこと口にする人は居ません。でもみんな、どこかで感じている感覚。
鏡を見て口角が下がってしまっている自分を見て、改めて口角あげていかないとと思いました。
戦争は人の顔を変える
おそろしい話なのですが、戦争に行った人の行く前と、戦地から帰ってきた後の写真を見比べると明らかに顔が変わっていました。
辛い現実から目を背けるように目の窪みが深くなり、頬もこけてまるで別人です。
戦争のように、激しい疲労や苦悩をもたらすものは、人の心を傷つけ、明らかに人の顔を変えてしまうようです。
おわりに
そういえば、声優の大塚明夫さん(私の大好きなメタルギアソリッドシリーズでスネークの声をされている方)とすれ違ったことがあります。なんともない街中です。
私は、声優さんの顔をあまり知らないのですが、その人相に何かを感じてつい振り返ってしまいました。
すると瞬間、人だかり。
「?」という顔をしていた私に「声優の大塚明夫さんですよ」と通りがかりの女性が教えてくれました。
人相というか、オーラなのかもしれませんが。
鏡を見ていってらっしゃい
コメント