ある日、精神科医と話したこと。
「もし先生が僕と同じ立場だとして、職場で無視をされ続けていたらどうしますか?」
こんな質問をする私の今一番の困りごとは、職場での人間関係だ。
ある職員(64歳のアパレル出身のパートスタッフ)から軽く無視をされている。
まわりに相談しても、その人の態度は変わらない。
私も無視をする人に対してどうすればいいかわからなくて困っている。
「無視し返せば?」と思うが、社会人としてチームで子どもを預かる仕事をしているので、その選択肢はできない。挨拶をしても聞こえていないふりをされるのか、返してくれないし、自分だけ挨拶されない。
無視はきつい。またこの人に無視をされるんだろうなと思いながら挨拶をして無視されるのは本当に心がしんどい。原因は自分が「生意気」なんだと思う。気持ちはわかる。私の上司なんてまるでサーカス団の団長のように珍獣である私をうまく扱ってくれている。自分でも扱いにくい生き物である。
先生はまずこう言った。「もっとエグいいじめかたしてもらえないかなと思う」
先生は自分がこういう発信をしていることを知っている。創作は現実の中で、現実の生活の中から生まれる。経験したことやものの中から。だからどうせならもっとエグい、いじめをしてくれないかなと思ったようだ。
発信することが元気のもとなら。「この野郎、ネタにしてやる」そんな気持ちでいると受け止め方が変わるんじゃないか。なるほど、と思った。辛いと思える仕打ちでも、ネタになると思えばその間は自分を俯瞰してみることができる。
また辛い仕打ちは創作のガソリンになりうる。思えば、偉大な作家も苦しみや楽しみという乱高下するゆらぎの中で素晴らしいものを作り出している。素晴らしい作品を残している人はだいたいしんどい思いをしている。
逆にしんどい経験がなければ、その創作には深みが無いうすっぺらいものになるという講談を聞いたことがある。ゆらぎがなければ生み出せない。宇宙だって最初はゆらぎの中から生まれたらしい。ゆらぎは何かを生み出す。ゆらぎは真理かもしれないと思った。
結局は転職が人生を変えてくれる。どうやら先生も9年間陰口を言われ続けていたらしい。
まぁなんとなくわかる気もする。誤解を受けやすい人だからね、この先生。私は好きだけど。
この心療内科の口コミは荒れている。「親身になってくれない」とか、「話を聞いてくれない」とか。
反対に「どうしてここまで不評が書かれているのかわからない」と擁護する声もある。
今も口コミという悪口を浴びせられているのだが、病院に勤めていた時は360度ずっと医師や看護師から悪口を言われ続けてきたという。抗ってもとても賢いのが相手だったので歯が立たなかったようで、結局先生はやめることでその苦しみから逃れることができた。
さっさとやめなかった理由は、自分の子どもの環境が変わることを恐れたからだという。子どものために踏ん張れたようだ。
やめる時は一切の未練もなく、とても爽やかな気分だったらしい。結局苦しみからの脱却は去ること。退職、転職が一番の薬だったようだ。
そのために担保として居場所を作る。仕事に期待しないことが大切らしい。仕事だけが生き甲斐だとか、この仕事が全てだという考えはやめて、それを脱出船のようにして荷物を少しずつでいいから載せていけば心の拠り所になる。居場所の担保は心の拠り所。仕事で足りないものをその場所に求めればいい。例えば、自分の仕事が社会の役に立たないと思っているなら、ボランティアで人の役に立てばいいし、つまらないなら自分の人生はこのためにあると思える趣味を作る。仕事に期待するんじゃなくて、仕事の外側に期待すればいいと感じた。
私も同じように仕事が辛いという人に向けて発信するためにあろうと思う。
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