子どもに振り回される新人教育従事者の方も、子どもを動かす力を手に入れる瞬間があります。それを、私が行った勉強会で「一皮むける瞬間」という風に表現していました。
教育に従事している方にとって、初めの方は本当に子どもに翻弄されていますよね。
私もすごい勢いで振り回されていました。学童保育の現場の頃です。
あと、最悪だったのはギャングエイジ、チャムグループから敵対視されたときです。
あの時は本当に
死ぬかと思いました。
いまでこそ、自分なりのスタイルを確立できましたが、そこに至るまでいろいろありました。
振り回されっぱなし、なされるがままの新人先生
最初のころは本当になされるがままでした。
背中に乗られたり、飛びつかれたりまるでおもちゃでした。
「え、なにこれ。この子達、モンキーパークみたい」レベルでした。
しかも、言う事も聞いてくれません。
「〇〇ちゃん、これ片付けてー」
必死に叫ぶ、私。片付けをさせないと、ボスから片付けられるのは私でした。
先輩先生からの目線を気にしつつ子どもに支持する時間はあまりにも長く苦しい時間でした。
(というか、この手の仕事は子どもを相手にする仕事なのにいつの間にか、子どもを取り巻く周辺の大人に目が向いてしまって、ズタボロになりますね。というか、なんで同じチームのはずの大人にも気を使って保育に支障が出るんでしょうね、永遠の謎です)
脱線しましたが、何度も声掛けをしてようやく片付けを完了する私。しかし、問題は他にも起こっています。片付けに目を向けていた間に、ケンカとか、怪我とか
マルチタスクのやろうが殺しにかかってきます
よく生き延びれたな、私。ちょっと書いてて涙出てきたぞ。
覚えたのは、子どもを信じる事。
少し「どーん」と構えられるようになりました・・・
今では、多少の事があってもグラつきません。
処理速度があがったのもそうですが、子ども自身の力を信じたり頼る事を覚えました。
ある、レジェンド的なカリスマ先生と一緒に仕事ができたときの話です。
子どもの引率で大型の施設に行ったときに、私は他のお客さんの迷惑にならんようにど必死こいていました。
40人前後の児童に
「ならんでー、こっちー!」
「静かにしてー!!」
とか。ああ、もう涙ぐましいですわ。
これに対して、レジェンド先生は特に制止もしませんでした。
「(この人、正気じゃねえ!!)」と思ったんですけど、そのレジェンド先生は、子ども達の事を信じていたのです。
「ん?あの子ら賢いよ」と言うと「こっち」と片手だけで引率します。
私はその時、わかりました。
子どもを子ども扱いしすぎてたんだ
私は、子どもは全部説明して、促さないとやってくれない存在だと思いました。
しかし、ある程度の自由を認めたり、やってくれるだろうと信じる事で圧倒的に余力のある引率ができるようでした。
子どもを信じてどーんと構えて、保育体力を温存するレジェンド先生。私はもうフラフラで「帰りてぇ」と思っていました。
子ども自身の力を信じる、そして頼る。
その体験をもとに、私は子ども自身の力を信じるようになりました。
「子どもは自分が思っている以上に大人だ」
この時、勉強会で、子どもをもっと信じましょう的なトピックスがあったために私の心にこの一言は深く胸に刻まれました。
問題が処理できない時に、いや処理できても若干めんどくさ、子どもの助力を乞います。
その児童の普段からみている適正を見て、「これは〇〇さんだから頼めることだけど」と伝えたうえでお願いするとびっくりするぐらい助けになります。
子どもは一個人として認められると、その認めてくれた人のために力を発揮してくれるとどこかで聞いたことがありましたがまさにその通りでした。
片付けをしない子供も声を一度かけて、具体的に説明すると一度の声掛けで言う事を聞いてくれるようになりました。
「この時間には集まるんだよー、任せたからね」と伝えてハラハラ待つのはやめにしましょう。出来なかったときは出来なかったとき・・・
恐怖のギャングエイジ、チャムグループ
多くの新人がやられるのではないでしょうか、私も思い出したくねぇ・・・
出ました、対応ミスると明暗分かれるギャングエイジとチャムグループです。
私は、思いっきり対応ミスって、地獄を味わいました。
何が悪かったのかなぁと反省点は結局のところ、
- 子どもとして見下していた
- 一個人であることを忘れていた
- あと、関わり方がキモかった(ガチガチでしたからね緊張で)
このあたりでしょうかね。
世の中には、思春期を得意とする変態みたいな先生もいますが、その先生の言い分を聞けばああなるほどと思いました。
変態は言い過ぎだろう
「隣にいる大人と同じ扱いをすればいいのです」
「大人と同じ扱いをすればいいだけだからいっそ言葉が通じない幼稚園の子らよりもずっと楽」
大人の器を手に入れた子どもは、大人のつじつまの合わない言動を嫌います。そして
異質を排除します。(大人は異質)
そんな時こそ、大人のように敬い、扱う事をすれば良いだけというわけでした。
そして、共感と感謝。リスペクト。
これね。
効果抜群でした。
共感、感謝、尊敬。関係構築には必須
彼ら彼女らが違和感を持っているルールなどには、共感し意見を受け止めます。
自分が掛け合い他の大人とのパイプ役になることで、近い目線を持つことで仲間として受け入れてもらえました。
「えらいね」など褒めることはむやみにしなくなりました。
というのも褒めるという行為は、無意識に上下関係を生み出しているので、同列扱いをするためには
「ありがとう」の方が相手に響きやすいというのです。
「頼りになるなぁ」「あなたが居てくれてよかった」と同時に敬意を表する振舞いも増やしたところ望ましい行動も強化され多く見られるようになりました。
- 共感
- 感謝
- 尊敬
大人にも必要なこの三つの関りは、児童に対しても大きな効果を持ちました。
今では、苦手だった高学年も、保育の際の頼れる味方になりました。
「居てくれてよかった」と存在自体を認めるのはとても大切です、特に・・・
児童も大人と見なし助けを求めること
「たすけて」と言うとよっぽど意地悪な気持ちでない限り相手は助けてくれます。
些細な事でも、児童の力を信じ手を貸してもらうことで、児童は
「認められている」
と感じています。
これ、大人も一緒ですよね。
こうして、同時に襲い掛かるマルチタスクに立ち向かう力が蓄えられ、自分の保育には余力が生まれました。
最近は怪我をした子が居たら私でなく、児童が対応してくれるようになりました・・・
まとめ
ルーキーの頃の自分と比べると
- 子ども扱いしなくなった
- 敬い同列の扱いをする
- 一個人として言葉を受け止める
- 信じる
このあたりを意識して行動していたため、大分楽になりました。
時間が掛かるものもありますが、即効性を持つものもあります。
今度、初任者に対して伝える機会があるのでこの辺伝えていきたいです。
ベテランのみなさん知ってたのならもっと早く教えて欲しかったなぁ・・・
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