子どもから嫌われていた時の話と子どもに助けられるようになった時の話をしようか。

仕事のこと

自分は今、放課後小学生を預かる仕事をしています。

200人以上の児童を預かっています。

預かっている児童数が多いだけに色んな子が居ました。

当時は女子グループへの関りをミスりとんでもない地獄を味わいました。

この記事は子どもから嫌われていた当時の自分に向けて書いた記事です。

子どもに嫌われて「この教育の仕事むいていないな」としんどい時期を過ごしていた自分に時空を超えて「相手に敬意を払え」ということを伝われば良いな。

嫌われたきっかけ。子どもの懐に飛び込み方を間違えた。

知らん人が、へんな口調でグループに割って入っていったことでした。

実はこれ、後で知ったのですがタブー中のタブー。

子どもは同じ活動の子どもとグループを作るわけなのですが、そこに異質な侵入者が表れたのです。

そら攻撃しますよね。

大人社会にも生かせるヒントです。

にわかプレーヤーが来たら攻撃するでしょ?

グループに溶け込むには活動で繋がるというテクニックもあるようです。

遊び(活動)は大切。大人も子供も・・・。

明暗が分かれたのは感謝を示し始めてからだった。

はっきりと明暗が分かられ始めたときがあります。

それは、研修を受けた後です。

・子どもは大人と対等な対話を求めている

・大人のいう事は聞きなさいではなく、根拠のある理由を丁寧に話す。

・相手の言葉に共感する。

「隣にいる大人と同じように話せばいいんです」と勉強会で聞いてから雷が走りました。

時には「この決まりはおかしいよ、無駄だよ」という子どもの言葉を受ける事があります。

そんなときは「たしかにそうだよね、じゃあみんなで話し合って考え直そうか」

と意見を受けとめ、共感を行うことで「この先生話わかる」と思ってくれるようです。

自分たちを一人の個人として扱って欲しいようです。

そのために、共感はとても大切なようでした。

この点を意識して抑え始めると、自分の「嫌われる先生」ライフは大きく変わっていきました。

あの研修が無ければと思うと、今でもゾッとします・・・。

「ありがとう」という感謝と「すごい」というリスペクトで子どもが力を貸してくれるように。

子どもを子どもとして扱い、上から目線でモノを言っていた時代とは大きく異なりあくまでフラットな関係を目指しました。

大人でもわからないことはわからない。出来ていないことは認める。

そういうことを続けていくと

「あ、この人私たちと一緒だ」という風にグループに少しづつ認められるようになりました。

先生だからと言ってパーフェクトである必要はなかった。むしろ無様な姿を見せる今の方が好かれている気がする。

かっこつけるのやめにしました・・・。

「もう先生、ダメなんだからー」

と、率先して助けてくれるように。

むしろそれは個人のキャラの問題であるような気がしますが、私はこのスタイルで子ども達の関係が出来ています。

こないだ、ベテラン先生に子どもと一緒に怒られてましたね

それで、ええんや・・・。

子どもながらの目線で。今では他の先生からも長所として数えられる程となりました。

敬意を払うようにしたら、子どもが集まった。そして、気が付けば味方になってくれていた。

ちょうどジュラシックワールド見てたらヴェロキラプトル育ててる人が「俺たちはお互いに敬意を払っている」みたいなこと言ってましたね。

命令じゃなくて、相手を敬う気持をもっているからラプトルにも認められているという、私の大好きなシーンです・・・。

オーウェンさんのことかーっ!

この点、ラプトルも人間も変わらないなと思いました。

軽んじられてると感じたら、相手に嚙みつきたくなりますよね。

私も一緒でした。

なるべく、私はそんな教育者になるまいと思ってましたが、前半「子ども」と軽んじて嫌われていしまいましたね。ラプトルに噛み殺されたというわけです。

敬意を払えば子どもは手を貸してくれます。次に書きます。

頼りにすれば助けてくれる。信じよう。

「〇〇くんのそういうところはすごくかっこいいと思う。誰にもできないなぁ」

「〇〇ちゃんは私よりも仕事ができるなぁ。すごいなぁ」

びっくりするぐらい褒める事が多くなりました。

そして、お世辞にならないように素直にすごいと思ったところを口にすると結構色んな子に刺さるようになりました。

あと、素直な気持ちで褒めることは、大人にも刺さる様になりました。

あ、そっちにも刺さるんだと思いました・・・。

大人も褒められたいんだなぁ。

尊敬を示すと子どもはその言葉を鏡のように行動してくれるようになります。

大人の手が足りない時に、怪我をした子供の前に躍り出たのは私が信頼を寄せている子どもでした。

この光景を見たときに「うわ、やっば。教育職たのし・・・」って思いました・・・。

おわりに

子どもを信じるという心が欠落していたように思えます・・・。

子どもは信じてあげましょうという言葉を研修で持ち帰りました。

わたわたと心配する新人先生。対して、ベテラン先生はどっしりと構えて「ん、大丈夫じゃない?」

これまさしく私でした。

子どもに嫌われている中で、教育というのはとても辛いもので、発言そのものを否定されてしまいます。言葉も届くのは難しいです。

地獄でしたね。同じ地獄を味わっている人が居れば、是非職場内で用意されているであろう研修・修養を積極的に利用をお勧めします。私はそれで活路が見えました。幸運なことです。

子どもに嫌われるのは辛いでしょう・・・。自分の「人格の醸成」のために情熱なくなるまで頑張ってみてください・・・。

やめるときはスパッとやめちゃえ

〈追記〉

一時期、情報を処理できないくらいに弱っていたことがあるのですが、昼寝始めてからだいぶマシになりました。こちらも是非・・・。

訳アリな元会社勤め。発達障害を持ちながら(主に)小学生を世話する仕事をするようになった。恐ろしいことに小学生の育成支援のプロフェッショナルと名乗らなければいけないことに最近気づいた。月に何件かこころだとか、教育の勉強会に金を貰いながら行けるので性に合ってる今日この頃。自己目標は「人格の成熟」メンタルがやられていると書くことで発散しようと筆が進む。

nenkonをフォローする
仕事のこと
nenkonをフォローする
たすけてくれ

コメント

タイトルとURLをコピーしました