何に罪悪感を感じているのですか。
私はとても繊細です。
何かあったとかじゃなくて何もなくてもなんだか落ち込むほどです。
楽しいはずの旅行ですが、時々、強い罪悪感に苛まれます。
「罪悪感?そんなわけないでしょう」といえる人はそれでいいと思います。でも私の様な人も一定数いるはず。
そんなときに大切なのは不安の正体を掴むことです。それがわかればこころ軽くなりやすいらしいです。
同じように繊細な人のヒントになるように、繊細な私の罪悪感はどんな時に起こるのか書きました。
ある程度、ここかなと思うところで罪悪感を感じています。
皆さんに共感できるものがあればうれしいです。
出費で罪悪感
気が小さいので急に大きな出費をするとそれだけで不安になってしまいます。
そんなもん普段の生活でどうにでもなるんですね。酒を毎日飲む金があるじゃないか。タバコだってそうだ。
ゲーセンで金を溶かすよりも
変なゲームを積みゲーするよりも。
埃被ってる無駄な買い物よりも。
日々の家計簿で「何に使ったっけ?」と使途不明金の出費の正体を掴むと割とお金というのはなんとかなるみたいです。
お金の問題って割とメンタルヘルスと密接みたい。不安になるのもしかたないね。
休みを取ることに罪悪感
なぜか休むこと自体に罪悪感があります。
わかってはいるんです。それは刷り込まれた勤勉です。
休みは権利ですで仕事をするモチベーションやインスピレーションになる。
見聞や経験は無駄ではない。旅行が終わればナイスな記事や作品ができる。
人生が薄っぺらいままで終わって良いのか
視野が狭いままで。
特に自分は人にものを教える仕事をしている。薄っぺらいと仕事にもならない。
近場でも良いから目新しいものを見に行くとエネルギーになるようです。
経験をしていい仕事しようってことでなんとか自分のこころに納得してもらいます。
他の人が働いている中、自分は休んでいることに罪悪感
さっきと被るんですけど、周りの人が忙しそうにしてる間に、自分だけゆったりしていると繊細な人は不安になります。
だって、自分だけ異質だから。
居場所の記事でも書いたのですが人間は自分が異質な存在であるとこころがぶち壊れるようです。
楽しんでいる人が大多数の場所だったりすれば、このタイプの罪悪感はあんまり感じなかったりします。
私はゆったりした午後休みをファミレスで取っている時にこころがきゅっとなってドリンク片付けて帰りたくなります。
かわいそうすぎる。休んでもいいやねんで?
そもそも何に罪悪感を感じているのかわからないとき。
紙へのアウトプット作業を行ってください。これは信じられないくらい自分の気持ちに気付くことが出来ます。
旅行の終わりはただでさえ寂しさや休み明けの仕事への落ち込みだったりいろいろな感情との戦いがありますからね。すごく複雑で色んなものが折り重なった気持ちになります。
最初にも書きましたが、自分のこころの不安の正体を掴めば大分こころは楽になりますからね。
あなたのこころはどうなってるのか、楽しみを無下にしないうちに紙とペンで気持ちをまとめてみてください。
私もよく書き残しています。心の動きを残していると旅行の日記みたいになっておもしろかったりします。
人間って揺らいでいると何かを生み出せますからね。ニュートラルでいると無味乾燥でつまらない感じになってしまいます。
偉大な発見だとかこころを揺らがせる文学だってきっとゆらぎから生まれてると思う。
おわりに
休みなのにちょっと鬱っぽくなってる時。大概、休みに集中できていません。
美しい文化遺産見てる時もなんかテンション低かったですね。こないだ。
なんか歴史に思いを馳せすぎて負の感情をインストールすることもあります。
まあ、なんにせよこころが動かされすぎるのは実際しんどい。
さっき自分でも言ってたじゃないですか、こころを揺らがせないと無味乾燥だって。
また行きましょうよ。何回でも。
結論:繊細でも旅行行ってこころを揺らがせろ
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