休職二日目。
最初に言うと、休職中に罪悪感や焦りを感じるなというのは、たぶん無理だ。
ここ数日いろいろあがいてみたけれど、ずっと十字架のようなものを背負っている気分がある。
もちろん、私が特別弱いだけなのかもしれない。けれど少なくとも、休んだからすぐ楽になる、みたいな話ではなかった。
会社に送ったのは、たった二行だった
職場には、こう送った。
「医師に休養が必要と診断されました。しばらく休ませてください」
たったそれだけなのに、不安になる。
治療方針とか、今どういう状態なのかとか、少しは会社にも伝えた方がいいんじゃないか。
そんな気持ちが何度も浮かんだ。
もう連絡はしている。診断も出ている。
だから今すぐ何か追加で言う必要はない。
頭ではそう分かっているのに、気持ちはなかなか追いつかない。
休職すると、仕事から離れることそのものよりも、
「ちゃんとしていない感じ」の方が苦しくなるのかもしれない。
私はたぶん真面目な方だ。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
何かがあれば報告する。
状況が変われば伝える。
周囲に迷惑がかからないようにする。
そういうことを当たり前のようにやってきたから、もう連絡は十分だと分かっていても、
「本当にそれでいいのか」と思ってしまう。
頭だけまだ仕事場に残っている
でも、医師からは休めと言われている。
AIにも、一週間くらいは様子を見ていいと言われた。
正直、それでもまだ落ち着かない。
たぶん私は、退場したあともまだ舞台に立とうとしている。
もう役目は一度置いているのに、頭だけはまだ仕事場に残っている。
あれこれ考えて、何か動かなければいけないような気がしてしまう。
この感じはかなり怖い。
自分の中の責任感みたいなものが、休んでいる最中にもまだ動いていて、
それが「正しさ」の顔をしてこちらを急かしてくる。
けれど今は、その声に従うのではなく、休む側に残らないといけないのだと思う。
旅に出たくなった
そんなことを考えながら過ごしていたら、ふと旅に出たくなった。
自転車で、どこかへ行きたくなった。遠くへ。
風を浴びて、知らない景色の中に自分を置きたくなった。
何かから逃げたいのか、それとも何かを取り戻したいのか、自分でもよく分からない。
ただ、「ここじゃないどこか」に行きたい気持ちがあった。
でも今の自分は、遠くへ行くにはまだ不安定だ。
夜になると気持ちが沈む。昼間は少し楽でも、夜にはまた不安が戻ってくる。
そういう波がまだあるから、長い旅ではなく、戻れる範囲の小さな移動にした方がいいとAIに言われた。
出先で病むと危ない。たしかにその通りだと思った。
夜はやっぱり怖い
実際、夜は怖い。
昼はまだいい。
人と話していたり、外に出ていたりすると気が紛れる。
子どもと一緒に過ごした日なんて、罪悪感がかなり薄れた。
自分が何かを提供して、その場に馴染んで、少し笑っていられる。
そういう時間の中では、「休んでいる自分」を忘れられる。
けれど夜は違う。
静かになって、ひとりになって、思考が内側へ戻ってくると、一気に苦しくなる。
私はどうやら、人と関わることで少し回復するタイプらしい。
それは、休職してみて初めてよく分かった。
完全に一人で閉じていると、考えが濃くなる。
逆に、人と少し関わると、その濃さが薄まる。
もちろん、大勢でわいわいするのがいいわけではない。むしろ疲れる。
けれど、子どもたちと過ごすとか、少し外の空気を吸うとか、誰かと短く言葉を交わすとか、そのくらいの接触はかなり効く。
休むのも下手だと思う
一方で、休職中に何もしないでいるのも私には難しい。
もともと、じっとしているのが苦手だ。
普通の休みの日ですら、何もせず過ごすのがあまり得意ではない。
何かしていないと落ち着かない。
けれど、行き当たりばったりに動くと、今度は自分だけでなく周囲も巻き込んで疲れてしまう。
とくに今は休職中だ。
普通の休日よりも、「ちゃんと休まなければ」という圧が余計にある。
そのくせ、休むことに罪悪感もある。
この矛盾が、かなりしんどい。
心療内科の本には、休職中にも成果を求めて資格試験に挑戦する人がいると書いてあった。
正直、その気持ちはよく分かる。
何か実績みたいなものが欲しくなるのだ。
休んでいる時間を、ただの停止ではなく意味のあるものにしたくなる。
何か積み上げていないと、不安になる。
でもたぶん、今の私に必要なのは「成果」ではない。
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休職三日目|一人でいること、人に助けを求めること
休職三日目。
この日は創作に時間を使った。
外に出たのは、近所の100円ショップやコンビニにコピーしに行ったくらいだった。
パートナーとは会ったけれど、それ以外の人とは会っていない。
そういう日は、少し内側に寄りすぎる。
自分の中にこもってしまって、夜の不安も強くなりやすい。
会わなければいけないというほどではないけれど、人との接点を完全に絶つのは私には合わないのかもしれない。
人と会うこと、それ自体が薬になるような感じがある。
パートナーにちゃんと話していなかった
ただ、その一番近いはずのパートナーとの間で、少し孤独を感じることもあった。
思えば、休職に至る前からパートナーもかなり疲れていた。
体調も崩していた。
だから、こちらも深く相談できなかった。
いや、正確には、しなかったのかもしれない。
自分の中で起こっていたことを、ちゃんと共有していなかった。
吐き気が続いていたことも、不眠があったことも、言葉が少しおかしくなっていたことも、ただの疲れではなく、もっと崩れた状態になっていたことも。
家に帰って仕事の愚痴を言おうとすると、
「家でまで仕事の話はしないで」と言われることもあった。
相手だって仕事で疲れていたのだと思う。
でも、その積み重ねの中で、私は自分の異常をうまく説明できないままここまで来てしまった。
それを思うと、少し後悔している。
これから休職を考える人がいるなら、家族やパートナーにはちゃんと話しておいた方がいいと思う。
自分の中で何が起きているのか。
どういう症状が出ているのか。
なぜ休む必要があるのか。
そこを省略すると、あとでズレる。
相手が悪いとか、理解が足りないとか、そういう話になる前に、こちらが伝えていなかったことも確かにある。
家にいづらくて、海へ行った
そのことを考えながら、私はまた外に出た。
家にいるのが少ししんどかったのだ。
なんとなく、家にいると悪い気がした。
いつもより長く寝ている自分を見て、「起きたら?」と言われた。
そのあと、パートナーは出勤した。
私はいつもの海岸へ行って、焚き火をすることにした。
肉も焼こうと思った。
でも、飛び出すように出てきたせいで、肝心の道具をいろいろ忘れていた。
それでもなんとか肉は焼けた。
味も、まあ美味しいと言えば美味しい。
ただ、調味料を忘れていた。
塩がない。
『老人と海』と、塩のない肉
そのとき、ふと『老人と海』を思い出した。
「塩かライムをもってくりゃあ良かった」
そんなふうに、生の魚の切り身を船の上で食べる場面が好きだ。
そんなことを思い出しながら、味の足りない肉を食べていた。
美味しくないわけではない。
でも、これでは肉に失礼な気がした。
なんとか調味料を手に入れないといけない。
そう思った。
知らない人に塩を分けてもらう
近くに他のキャンパーがいた。
正直、かなり勇気が要った。
知らない人に声をかける。
しかも私はその時、かなりおどおどしていたと思う。
髪の色だって普通じゃない。
割と派手な髪型と髪色をしている。
そんなやつがいきなり近づいてきたら、相手も少し警戒するだろう。
実際、最初は戸惑った顔をしていた。
でも私は、
「し、し、し、塩、少し分けてもらえませんか」
と言った。
すると相手は、
「え? 死を?」
と聞き返した。
私は慌てて、
「違います、塩です。ソルトです」
と言った。
すると、
「ああ、塩ね」
と、事情を察して快く分けてくれた。
ありがたかった。
何と聞き間違えたのかは今でもよく分からない。
でも、あのやり取りのおかげで少し空気が和らいだ気もする。
助けを求めるのは、言うほど簡単じゃない
人に助けを求めてみるものだな、と思った。
実は、「助けを求めてみる」というのは、私の記事の中でもかなり大きなテーマだ。
普段から、人はもっと助けを求めていい、みたいなことを言ってきた。
でも、いざ自分がやるとなると、これが本当に恥ずかしい。
五分くらい固まった。
お礼に渡せるものも無いし、とか。
迷惑かもしれないし、とか。
いろいろ考えた。
それでも言ってみた。
これ、かなり大きかった。
口で言うのは簡単だ。
でも自分が実際にやるのは難しい。
だからこそ、やってみたことに意味があった気がする。
そしてあとで、お礼に日本酒を持って行った。
相手は「いただけませんよ」と遠慮していたけれど、こちらとしてはちゃんとお礼をしたかった。
助けてもらって終わりではなく、そのやり取りをきちんと閉じたかったのだ。
焦りに引っ張られて動くと危ない
この一連のことは、小さいようでいて、自分の中ではかなり大きな出来事だった。
焚き火をしたのは、最初は焦燥感からだったと思う。
何かしなきゃ、という気持ちが強かった。
じっとしていられなくて、何か行動しないと落ち着かなかった。
でも振り返ってみると、焦りそのものが悪いのではなく、その焦りに引っ張られて無計画に動くのが危ないのかもしれない。
一人で焚き火をしている時間が長くなると、また少し孤独が濃くなった。
助けてくれたキャンパーさんが親切だったぶん、余計にそう感じたところもあった。
やばい時こそ、人が少しは必要なのかもしれない。
完全に一人では濃くなりすぎる。
かといって、常に誰かがいればいいわけでもない。
このあたりのバランスが、まだ難しい。
帰宅後、「何もしない」ができなかった
帰宅後、やっぱり落ち着かなかった。
何かしないといけない。
その衝動から、焚き火をしに行った。
結果としては、少しダメージを負った。
完全に悪かったわけじゃない。
でも、やっぱりどこかで無理をしていた気がする。
その反省を踏まえて、AIが口酸っぱく言っていた
「何もするな」
を実行してみることにした。
でも、これができない。
とりあえず映画をつけた。
でも、なんか苦しい。
落ち着かない。
じゃあ酒でも飲むか、と思った。
頼らざるを得なかった。
飲めば少し楽になる気がした。
でも、やっぱりどこか苦しい。
しかも選んだ映画のチョイスも最悪だった。
ゾンビパンデミックで、男が閉じこもるやつ。
なんで今それを観るんだよ、と思う。
外から隔絶されて、じわじわと追い詰められていく感じ。
今の自分と少し重なって、余計にしんどくなった。
「何もしない」が正解だと思っていた。
でも、実際にやってみると、それが一番難しい。
何かしていないと不安になる。
でも、何をしてもどこかズレている感じがある。
休職って、ただ休めばいいだけじゃない。
何もしないことと、何かしてしまうことのあいだで、ずっと揺れている。
このバランスが、思ったより難しい。
話してみたら、少し違っていた
パートナーが帰ってきたのは三時頃だった。
「寿司いこうず」
と言われたので、寿司屋に行った。
そこでパートナーと話をした。
自分が休職する時、ちゃんと話したっけ。
そう聞くと、あんまり聞いてなかったねぇ、という返事だった。
改めて、休職という判断は正しかったかどうか聞いた。
朝に感じた冷たさは、どうやら勘違いだったらしい。
やっぱり、話はしないといけない。
そのあと家に戻って、また二人で創作の時間を過ごした。
ドールの服を作った。
良い一日になった。


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