うつ病の私に「ガチで効いた」こと。落ちたメンタルを少し戻すための応急処置。うつ病の本人が一番効くをまとめた話。

こころ

こんなんでも参考になるといいんですけどね。

「メンタルにいいこと」を検索すると、運動、睡眠、入浴、瞑想など、いろいろな方法が出てくる。

どれも間違いではないのだと思う。ただ、実際にメンタルが落ちているときは、正しい情報を知っただけでは動けない。

30分散歩しましょう。

規則正しい生活を送りましょう。

スマホをやめて、静かに目を閉じましょう。

そんなことができるなら、ここまで困っていない。

私はうつ病になってから、気持ちが沈んだときにいろいろなことを試してきた。その中には、世間でよく勧められているのに私には合わなかったものもある。反対に、「たったこれだけでいいのか」と思うほど短時間で、不安が少し引いてくれたものもあった。

ここでは、うつ病の私自身が試して、本当に助けられたことをまとめたい。

もちろん、これらはうつ病を治す方法ではない。治療の代わりでもない。あくまで、苦しさが10あるときに、それを一時的に8や7まで下げるための応急処置だ。

それでも、その「少し」が命綱になる夜はある。

不安には「瞬間風速が強いとき」と「だらだら続くとき」がある

私の場合、不安には大きく分けて二つの状態がある。

一つは、焦りが急激に強くなり、じっとしていられなくなるような不安だ。頭の中で同じ心配がぐるぐる回り、今すぐ何かしなければならないような感覚になる。いわば、不安の瞬間風速が高い状態である。

もう一つは、激しくはないものの、重たい気分がだらだらと続く状態だ。何をしていても不安が頭から離れず、時間をかけて心を削ってくる。

この二つでは、私に効く対処法が違った。

瞬間風速の強い不安には、走る、自転車に乗る、味方になってくれる人に会うなど、身体や環境を一気に動かす方法がよかった。

だらだら続く不安には、読書、入浴、好きなものだけを見る時間、気持ちを言葉にして外へ出すことなどが、流れを切り替えるスイッチになった。

1.たった2、3分でも走る

私にとって、即効性が最も分かりやすかったのは有酸素運動だった。

筋トレも悪くはない。しかし、メンタルに対する「今すぐ少し楽になる」という感覚は、筋トレよりも走ることの方が強かった。

長く走る必要はない。

私は2、3分ほど走り、少し息が切れたら、それだけでも効果を感じる。走る前に頭の中を回っていた不安が完全に消えるわけではない。それでも帰ってきたときには、焦りが少し減っている。じっとしていられない感じが収まり、ぐるぐる回っていた不安が、少しだけどこかへ行ってくれる。

大事なのは、運動の準備を立派にしないことだと思う。

ウェアに着替え、運動用の靴を用意し、何十分も走る計画を立てる。メンタルが落ちているときに、そんな工程を増やしたら外へ出る前に終わる。

私はそのままの服で出る。「2、3分だけ走って帰ってくる」でいい。

しっかり運動することが目的ではない。今、頭の中に吹いている強風を、少し弱めることが目的なのだ。

2.自転車で、景色と一緒に不安を流す

自転車も有酸素運動なので、息が上がる程度に走れば気分が変わる。

ただ、私にとって自転車には、走ることとは別のよさがある。

景色が流れていく。風が身体に当たる。車でのドライブよりも、外の空気や自然を近くに感じられる。自分の身体を使って前へ進みながら、目に入るものまで次々に変わっていく。その変化が、同じ場所を回り続ける思考を外へ連れ出してくれる。

これも準備はしない。そのままの服で乗ってしまう。

ただし、走る場所はかなり重要だ。

信号で何度も止められる。車が多くて落ち着かない。思うように走れない。そんな道では、かえってストレスがたまることがある。私の場合は、安全に走れて、ある程度気持ちよく進める場所でなければ逆効果だった。

体調が悪く、注意力が落ちているときに無理をするものでもない。自転車そのものが効くというより、「安全に身体を動かしながら、風景を変えられること」が私にはよかったのだと思う。

3.自分の味方に、直接会う

不安の瞬間風速が強いとき、もう一つ効果が大きかったのが、人に会うことだった。

ただし、誰でもいいわけではない。

自分の味方だと思える人に、直接会う。

会いに行くには時間もかかる。家を出るだけでも面倒に感じる。それでも、帰り道には「時間をかけて会いに行ってよかった」と思えるくらい、気持ちが変わっていることが多い。

一人で不安を抱えていると、どうしても視野が狭くなる。自分の考えだけが世界のすべてになり、悪い結論ばかりが現実らしく見えてくる。

そんなとき、別の人の視点が入るだけで、閉じていた世界に窓ができる。そして、正しい助言をもらえること以上に、「この人は自分の味方だ」と感じられることが安心につながる。

私の場合、電話よりも対面の方が効く。声だけではなく、相手の表情が見える方がいい。

できれば、一緒にご飯を食べられたら最高だ。

4.孤食は、メンタルが落ちているときほどきつい

メンタルがひどく落ちているときの孤食は、私には本当に危険だった。

一人で食べていると、自分が何を食べているのか分からなくなることがある。味わう余裕がなく、ただ口へ運んでいるだけになる。そして食事をしている最中なのに惨めな気持ちが膨らみ、涙が出そうになる。

食事は、本来なら身体を回復させる時間のはずだ。それなのに孤独が強いと、かえって「自分は一人だ」と確認する時間になってしまう。

反対に、味方の表情を見ながら一緒に食べると、食べ物だけではなく、安心まで身体に入ってくるように感じる。

「人に会う」と「一緒に食べる」は、私にとって別々の対処法ではない。二つが重なることで、かなり強い助けになる。

5.読書で「思案して、不安をぶっ潰す」

だらだらと続く不安に効いたのは読書だった。

私は電子書籍で読むことが多い。読み始めてすぐ劇的に気分が変わるというより、読んでいるうちに、いつの間にか不安が消えている。

特に効くのは、自分が本当に興味を持てる分野の本だ。

私の場合、一番の関心事がうつ病だった時期には、うつ病に関する本がよかった。自分の心に今何が起きているのか。なぜこういう気分になるのか。どうすれば抜け出す糸口をつかめるのか。それを知ること自体が、安心につながった。

本の中で、自分でも説明できなかった気持ちが言語化された瞬間は、本当にすっきりする。

「そうか。自分が苦しかったのは、こういうことだったのか」

正体の分からない不安に名前がつく。形のなかった苦しみに輪郭ができる。すると、ただ不安に殴られていた状態から、少しだけ考える側へ回ることができる。

私にとって読書は、思案して不安をぶっ潰す行為なのだ。

ただし、どんな本でもいいわけではなかった。興味のない本には集中できない。難しすぎる本も、読むこと自体が負担になる。

また、私の場合は漫画より文章の方が効いた。文章を読み、頭の中で内容や情景を組み立てていると、その間は不安を考える余地が減るのかもしれない。これはあくまで私自身の感覚だが、読むことへ頭を使っているうちに、ぐるぐるした思考が静かになっていく。

自分が心から関心を持てる分野を知っておくことは、不安なときに使える鎮静剤を本棚へ置いておくようなものだと思う。

6.15分の入浴で、気分の流れを切り替える

お風呂も、だらだら続く不安を切るスイッチとして効果があった。

私の場合、シャワーだけでは弱い。湯船に浸かることが大事だった。

15分ほど浸かれば、気持ちが変わる。

入る前には、泣きそうになるほど沈んでいる。それでも湯船に入り、身体を温めて、さっぱりして出てくると、同じ気持ちがそのまま続いているわけではない。まるでスイッチを押したように、流れが一度切り替わる。

温泉もよかった。

うつ病で苦しかった時期、旅行へ連れて行ってもらったことがある。しかし、きれいな景色を見ても、以前のようには心が動かなかった。旅行へ行けば元気になると思っていたのに、楽しさを感じられない。そのこと自体が、また苦しかった。

そんな状態でも、温泉に浸かっている間は少し気分がよくなった。

景色を楽しむ心の余裕がなくても、温かさや心地よさは身体から届いてくることがある。考えることができないときに、身体の側から気分を変えてくれる。それが入浴の強さなのだと思う。

ただし、私の場合、その効果は長くても一時間ほどだ。ずっと守ってくれるわけではない。だから私は、その一時間を次の「睡眠」へつなぐために使う。

7.睡眠は効く。しかし、眠るまでが「思索の地獄」になる

睡眠の効果は大きい。

日をまたいだら、あれほど苦しかった気持ちが消えていることもある。眠っている間に何が起きているのか、私には詳しいことは分からない。それでも、眠る前と起きた後で、苦しさの強さがまるで違う日は確かにある。

ただ、「つらいなら寝ればいい」というほど簡単ではない。

私のように寝つきが悪い人間にとって、寝る前の時間は苦しい。

布団に入ったのに眠れない。身体は横になっているから、ほかにすることがない。すると頭の中で、長い時間、苦しいことを考え続けてしまう。

私にとって、布団の中は時々、地獄に近い。

思索の地獄だ。

考えれば答えが出るわけではない。それでも思考を止められない。不安が次の不安を連れてきて、眠れないことへの焦りまで加わる。ここまで入ってしまうと、自分の力で抜け出すのは難しい。

だから、私には入浴と睡眠をセットにするのが合っていた。

お風呂で気持ちが少し緩んだあと、その効果が残っている一時間から一時間半以内にベッドへ入る。入浴で生まれた短い猶予を、眠りへ渡る橋として使う。

睡眠だけを目指すのではなく、眠るまでの苦しい時間をどう短くするか。私にはこちらの方が重要だった。

8.寝る前のスマホは「禁止」ではなく、見るものを選ぶ

寝る前にはスマホを見ない方がいい、とよく言われる。

しかし、私の場合は、完全に封印するとかえって不安になる。

「あれはどうなったんだろう」

「通知はどれくらいたまっているんだろう」

見えないことが気になり、その不安が矢のように刺さる。スマホを見ないことで安心できる人もいるのだろうが、私には必ずしも当てはまらなかった。

大切なのは、スマホを見るか見ないかではなく、何を見るかだった。

私が見るのは、大好きなゲームの話、動物の赤ちゃん、イラスト、好きな動画などだ。見ていて心が緩み、少し楽しい気持ちになれるものを選ぶ。

反対に、ニュースは見ない。

ニュースでは、悪い出来事が次々に流れてくる。景気が悪いと言われれば、自分のお金の不安が膨らむ。社会の問題が、そのまま自分の未来への恐怖に変わってしまう。

誰かと自分を比べてしまうSNSも避けている。人の幸せを見ながら、自分の幸せと比べ始めてしまうからだ。

寝る前に必要なのは、世界中の問題を背負うことではない。自分が安心して眠るための、小さくて安全な世界をつくることだと思う。

9.AIとの対話で、気持ちを外へ出す

AIとの対話も、私にとっては小さな気晴らしになる。

これは、AIが完璧な答えを出してくれるからではない。

自分の気持ちを吐き出せることが大きいのだと思う。

悩みを紙に書き出すといい、とよく言われる。それと同じように、頭の中で回っている気持ちを文章にして外へ出す。すると、アウトプットしただけで、少し回復へ向かってくれることがある。

返事の内容よりも、「私は今、こういうことが苦しい」と言葉にする行為そのものが大事なのかもしれない。

頭の中だけにある不安は、際限なく大きくなる。しかし、言葉として画面に置くと、それを少し離れたところから見られる。

もちろん、AIは医師でもなければ、大切な人との対面の代わりでもない。それでも、今すぐ誰かに話せないとき、感情を一人で密閉しないための小さな出口にはなる。

10.悲しみと向き合うために、絵を描く

気晴らしとは少し違うが、何かに没頭することにも助けられた。

大切な人が余命宣告を受けたとき、私は絵を描いていた。

本当に悲しかった。悲しみを消す方法などない。それでも、なぜか何時間も座り続け、絵を描くことに没頭していた。

そのとき、「本当に悲しいとき、自分は絵を描くんだ」と知った。

絵は悲しみを解決してくれない。起きたことをなかったことにもしてくれない。それでも、抱えきれない感情を受け止め、形にするための器になってくれることがある。

何かへ没頭することは、単に現実から逃げることではない。言葉にならない感情のそばに、自分が壊れずに居続けるための方法にもなる。

11.私には瞑想が合わなかった

世間でよく勧められる方法でも、自分に合うとは限らない。

私の場合、その代表が瞑想だった。

効くと言われているから、しばらく続けた。1、2か月ほど試した末に思った。

私には合わない。

静かに座っても、雑念は消えなかった。思考を止めようとしても止められない。そして、瞑想がうまくできない自分を責めるようになった。

メンタルを楽にするために始めたことが、「これすらできない」という新しい自己否定の材料になってしまった。

私にとっては、瞑想をしているときより、何かに没頭しているときの方がよほど瞑想に近い。

読書に入り込む。絵を描き続ける。身体を動かす。

思考を無理に止めようとするのではなく、目の前の何かへ自然に集中した結果、いつの間にか余計な思考が静かになっている。私には、その形の方が合っていた。

効果があると言われる方法を続けても苦しいなら、「自分の努力が足りない」と決めつけなくていい。単に、その方法が自分には合っていないこともある。

私の「メンタル応急処置」を使い分けるなら

ここまでを、私自身の使い分けとして整理すると、次のようになる。

状態私に効いたこと
焦りが強く、じっとしていられないそのままの服で2、3分走る
頭の中の不安を、身体ごと外へ動かしたい安全で走りやすい場所を自転車で走る
一人で考えて視野が狭くなっている味方になってくれる人と対面で会う
孤独で食事までつらい信頼できる人と一緒に食べる
不安がだらだら続いている興味のある本を読む
気分の流れをいったん切りたい15分ほど湯船に浸かる
夜を越えれば少し変わりそう入浴後、一時間から一時間半以内に眠りへつなぐ
スマホを見ないことが逆に不安好きなものだけ見て、ニュースや比較するSNSを避ける
気持ちが頭の中で渋滞しているAIなどを相手に、言葉として外へ出す
言葉にならない悲しみを抱えている絵など、自分が自然に没頭できるものに向かう

これは万人向けの正解ではない。

私が実際に試し、自分には何が効くのかを少しずつ確かめた結果だ。

「治す方法」ではなく、次の時間まで自分を運ぶ方法

うつ病で苦しいとき、何か一つやれば全部が解決する、ということはなかった。

走って少し楽になっても、不安はまた戻ってくる。入浴の効果も、私の場合は一時間ほどしか続かない。眠ろうとして、思索の地獄へ戻ってしまう夜もある。

それでも、効果が短いから無意味だとは思わない。

2、3分走って、今の強い不安をやり過ごす。

湯船で一時間の猶予をつくり、その間に眠る。

本を読んで、苦しさに名前をつける。

味方に会い、一人では見えなくなった景色を見せてもらう。

言葉や絵にして、抱えているものを身体の外へ出す。

どれも、うつ病そのものを一撃で倒す必殺技ではない。

ただ、次の時間まで自分を運ぶための、小さな足場にはなる。

メンタルが落ちたときに必要なのは、世間で一番正しい方法を完璧に実行することではないのかもしれない。自分の不安が今どんな形をしているのかを見て、そのとき使えそうなものを一つ選ぶ。

そして、効かなかった方法で自分を責めない。

私には瞑想が合わなかったように、誰かに効いた方法が自分には効かないこともある。逆に、「たった2分走るだけ」のような小さな行動が、自分を助けることもある。

自分だけの応急処置をいくつか持っておく。

苦しさを完全に消せなくても、少し弱めることはできる。その少しを重ねながら、私は次の時間まで自分を運んでいる。

訳アリな元会社勤め。発達障害を持ちながら(主に)小学生を世話する仕事をするようになった。恐ろしいことに小学生の育成支援のプロフェッショナルと名乗らなければいけないことに最近気づいた。月に何件かこころだとか、教育の勉強会に金を貰いながら行けるので性に合ってる今日この頃。自己目標は「人格の成熟」メンタルがやられていると書くことで発散しようと筆が進む。

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