私はいま、人生で二度目のうつ病に苦しんでいる。
一度目よりも、不安と希死念慮の最大瞬間風速が高い。
普段はなんとか暮らしていても、ある瞬間、強い風にさらわれるように気持ちが落ちる。
そんな日々の中で、これは避けたほうがいいと痛感したものがある。
孤独だ。
もちろん、誰かと一緒にいればうつ病が治る、という単純な話ではない。
誰かがそばにいてもうつはうつだし、人と会う元気すらない日もある。
それでも私は、ひとりでいるときの自分が、明らかに危ういことに気づいた。
うつ病になると、意識が自分に向き続ける
頭の中が「自分」で埋め尽くされる
ある本で、「うつ病は自分に目が向く病気だ」という趣旨の文章を読んだ。
«自分が悪い。
自分は苦しい。
自分の将来が不安だ。
自分はこれからどうなるのだろう。
どうして自分にはできないのだろう。
自分なんか——。»
自分、自分、自分。
自分勝手なのではなく、心に余裕がない
これは、うつ病の人は自分勝手だ、という意味ではない。
そんな余裕がないのだ。
痛む場所に意識が向くのと同じように、心が苦しければ、どうしても自分の苦しみに意識を奪われる。
私もずっと、自分の苦しみばかり考えていた。
人と会うことはあった。
しかし、よく考えてみれば、自分の気持ちを吐き出すために相手を頼ってばかりだった。
会ってくれる人に申し訳なくなることもある。
まあ、私の惨めな自虐ギャグを、それなりに楽しんでくれていた可能性はあるけれど。
それでも正直にいえば、今の私には「この人を喜ばせたい」という気持ちさえ持てない日がある。
それくらい、心にゆとりがない。
そして孤独になると、嫌でも自分に焦点が合い続ける。
自分のことばかり考えている時間は、本当に苦しい。
孤独がもっともつらくなる三つの時間
一人で食べると、なぜか心が脆くなる
私が孤独を最もつらいと感じるのは、何かを食べるときだ。
一人で食事をしていると、ひどく惨めな気持ちになる。
どうして食事中は、あんなにも心が脆くなるのだろう。
生きるために食べているだけなのに、その「生きる」という行為を、自分一人で黙々と続けていることが急に寂しくなる。
テレビや動画で部屋を賑やかにしてみても、残念ながら埋まらなかった。
人でなければ駄目だった。
誰かと一緒に食べると、私はその人を見る。
自分が作った料理なら、おいしいと思ってくれているだろうか、喜んでくれているだろうか、と考える。
「今日こんなことがあった」と話す。
ほんの小さなものでも、そこには団らんがある。
その間、私は自分のことばかり考えていない。
自分に焦点が合っていない時間は、苦しくない。
うつ病の人と一緒にご飯を食べてくれるサービスがあったら、案外、需要があるのではないかと思う。
励まさなくてもいい。
立派な助言もしなくていい。
ただ同じ食卓にいて、一緒に食べてくれる。
それだけで救われる時間が、確かにある。
眠れない夜は、ちょっとした地獄になる
眠れない夜も危ない。
皆が寝静まったあと、自分だけが世界に取り残されたような気分になる。
昼間ならなんとか押し込めていたものが、暗闇の中で次々と浮かび上がってくる。
«言われて嫌だった言葉を何度も思い返す。
明日の不安。
できない課題。
仕事の問題。»
一つひとつ、石を積み上げるように重くなっていく。
ある夜、眠れないまま苦しんでいた私は、いつの間にか変な声でうめいていたらしい。
その声でパートナーが目を覚まし、私を抱き締めてくれた。
すると、自分だけに向いていた意識が外れた。
抱き締められた温かさと、ここにもう一人いるという事実が、頭の中で積み上がり続けていた石を止めてくれた。
その日は、それで眠ることができた。
世間が働いている時間に、一人でいる苦しさ
皆が働いている時間帯に、自分だけ一人の時間があるのもつらい。
私の目には、皆が仕事で充実しているように映る。
一日働いた人たちが、夕方六時のスーパーで、仕事をやり遂げた満足感を抱えながら食材を買っているように見える。
その横で思う。
私は今日、何かしただろうか。
本当は、スーパーにいる人が全員充実しているはずなどない。
それぞれに疲れ、不安、不満があるだろう。
それでも、うつ病の目で眺めた景色の中では、自分以外の全員がきちんと人生を進めているように見える。
そして、自分だけが止まっている。
孤独は、その錯覚を訂正してくれる人すらいない時間でもある。
「他人に尽くせば治る」という話ではない
大切なのは、心のゆとりが戻ってくること
ここで誤解されたくないことがある。
他人に尽くしていれば、うつ病が治ると言いたいのではない。
苦しんでいる人に「自分のことばかり考えず、誰かの役に立て」と迫るのは、さらに荷物を背負わせるだけだ。
大切なのは、他人のことを考えられるくらいの心のゆとりが、少しずつ戻ってくることなのだと思う。
近くにいる誰かを大切にしたい。
誰かを少し喜ばせたい。
そんな気持ちを持てたとき、私は自分がほんの少し回復していると感じる。
見返りはいらない。ただ、おいしいものを食べてほしい
現に、仕事で疲れて帰ってくるパートナーに、おいしいご飯を作ってあげようと思うときがある。
見返りはいらない。
ただ、おいしいものを食べてほしい。
そう考えて献立を決め、料理を作る。
誰かのために手を動かしている間、私は少し楽になる。
自分の苦しみを解決できたわけではない。
それでも、その時間だけは自分の殻から出て、大切な人の暮らしに触れている。
自分の殻にこもるしかない日もある。
けれど、こもったままでいても、私の場合は気が晴れなかった。
同じ気持ちを抱えたまま、自分の中をぐるぐる回り続けてしまう。
他人のことを考えられたとき、その輪がほんの少し途切れる。
そして誰かを喜ばせたいと思えた自分も、少しだけ幸せになれる。
孤独をなくすのに、立派な言葉はいらない
ただ一緒にいることが、救いになる
うつ病の人を救おうとして、正しいことを言う必要はないのかもしれない。
– 一緒にご飯を食べる
– 今日あったことを話す
– 同じ部屋にいる
– 苦しそうな夜に、抱き締める
もちろん、何を心地よいと感じるかは人によって違う。
触れられたくない人もいれば、話したくない日もある。
それでも、相手が望む形で「あなたは一人ではない」と伝えることには、意味があると思う。
パートナーが帰ってくると、涙が出そうになるほど嬉しい日がある。
誰かが帰ってきただけで、うつ病が消えるわけではない。
それでも、自分だけで自分を見つめ続ける時間から、いったん連れ出してもらえる。
それだけ、孤独は私にとって危険なのだ。
小さな団らんが、回復の道しるべになる
回復とは、突然すべてが明るくなり、希望に満ちあふれることではないのかもしれない。
自分の苦しみ以外のものに、ほんの少し目を向けられること。
近くにいる誰かを大切にしたいと思えること。
その人のために作ったご飯を、同じ食卓で一緒に食べること。
私にとっては、そんな小さな団らんが、うつ病から少しずつ戻っていくための道しるべになっている。
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※これは、うつ病を経験している私個人の実感を書いたものです。孤独への感じ方や、必要な支え方は人によって異なります。希死念慮が強く、自分を傷つけてしまいそうなときは、一人で耐え続けず、身近な人や主治医、緊急の相談先につながってください。
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