私はうつ病と診断された。全く動けなくなってから休職などして2ヶ月経った。
今では少し回復傾向にある。回復途上。
ただ、京都旅行はその前から決まっていた。
予定を立てたのも半年前。
だから私は、
「うつ病だから旅行へ行った」
わけではない。
半年前の元気だった私が立てた予定の日に、たまたま私はうつ病になっていた。
ただそれだけだ。
—
旅行は楽しみにしていた。
ここは誤解してほしくない。
行きたくなかったわけではない。
無理やり行ったわけでもない。
京都は好きだし、伏見稲荷大社にも興味があった。
パートナーとの旅行も楽しみだった。
だから当日も普通に出発した。
—
実際、京都は素晴らしかった。
伏見稲荷の千本鳥居は圧巻だった。
山を歩くのも気持ちよかった。
観光客で賑わう境内も活気があった。
たくさん写真も撮った。
今写真を見返しても、
「ああ、良い場所だったな」
と思う。
—
でも旅行中、私はずっと違和感を抱えていた。
—
「あれ?」
—
何かがおかしい。
—
いつもの旅行と違う。
—
最初は理由が分からなかった。
景色は見えている。
楽しくないわけでもない。
つまらないわけでもない。
—
それなのに、
心の動きが鈍い。
—
普段の私なら、
綺麗な景色を見れば興奮する。
面白いものを見つければ話しかける。
思いついたことを次々口にする。
—
でも今回は違った。
—
感動していないわけではない。
ただ、反応が小さい。
—
100動くはずの感情が30くらいしか動いていない。
そんな感覚だった。
—
その変化は、自分よりも先にパートナーが気づいていた。
—
「疲れてる?」
「休む?」
「大丈夫?」
—
何度もそう声をかけられた。
—
私は返事に困った。
疲れているわけではない。
体調が悪いわけでもない。
旅行が嫌なわけでもない。
—
でも、
たしかに普段の私ではなかった。
—
今思うと、
会話が減っていた。
驚きが減っていた。
感想が減っていた。
—
心の動きが外に出てこなくなっていたのだと思う。
—
そして旅行から帰ったあと、
さらに気づいたことがある。
—
私は一生懸命写真を撮っていた。
—
その時は、
「旅行を楽しんでいる」
と思っていた。
—
でも今振り返ると、
少し違うのかもしれない。
—
私は感動して写真を撮っていたのではなく、
感動したかったのかもしれない。
—
綺麗な景色だから撮る。
観光地だから撮る。
思い出になるから撮る。
—
そんなふうに、
「楽しんでいる自分」を保とうとしていた気がする。
—
そのことに気づいた時、
私は少し怖くなった。
—
うつ病とは、
何もできなくなる病気だと思っていた。
布団から出られなくなる病気だと思っていた。
—
でも実際は違った。
—
旅行にも行ける。
笑うこともできる。
写真も撮れる。
人とも話せる。
—
その上で、
心だけが少しずつ動かなくなることがある。
—
それが私にとっては一番怖かった。
—
私は旅行に期待していた。
少し元気になることを。
少し気持ちが晴れることを。
いつもの自分に戻るきっかけになることを。
—
でも現実は違った。
—
旅行は楽しかった。
京都も素晴らしかった。
—
それでも、
心は思ったほど回復しなかった。
—
ただ、その旅行には意味があったと思う。
—
なぜなら私はそこで、
自分が思っていた以上に疲れていることを知ったからだ。
—
もしこの記事を読んでいる人の中に、
「旅行へ行ったのに楽しめなかった」
「好きな趣味なのに反応が薄かった」
「綺麗な景色を見ても昔ほど感動できなかった」
そんな経験をした人がいたら、
どうか自分を責めないでほしい。
—
私も最初は責めた。
せっかく京都まで来たのに。
せっかく旅行に来たのに。
どうしてもっと楽しめないんだろう。
どうしてもっと感動できないんだろう。
—
でも今は思う。
—
その時の私は、
楽しめなかったのではない。
—
疲れていたのだ。
—
旅行を楽しみにする力は残っていた。
旅行へ行く力も残っていた。
景色を見る力も残っていた。
—
ただ、
心が大きく拍手をする力だけが弱っていた。
—
それだけだったのかもしれない。
—
だから、
もし同じような体験をした人がいるなら、
「こんなこともあるんだな」
と思ってほしい。
—
うつ病だから旅行へ行ってはいけないわけではない。
旅行へ行ったのに感動できなかったからといって、
あなたの心が間違っているわけでもない。
—
少なくとも私は、
京都でそんな自分に出会った。
—
そして今は、
あの時の自分にこう言ってやりたい。
—
「ちゃんと楽しもうとしていたじゃないか」
「十分頑張っていたじゃないか」
と。
漫画とかエッセイみたいに旅行そのものは生きる活力を与えてくれなかった。


コメント